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フィリピンニュース

フィリピン従軍旧日本軍兵士の告白

終戦から62年を経た今、多くの旧日本軍兵士たちが戦場での経験を語っている。

 第二次世界大戦時に海軍衛生兵としてフィリピンに従軍した牧野明(Akira Makino)さん(2007年5月に死去、当時84)も、その1人だ。今まで、自身の体験について語ることはなかった牧野さんが、所属部隊がフィリピンの戦場で行った人体実験の実態について語り始めたのは、妻を亡くしてからのことだった。

 牧野さんは、今でも自身がフィリピン人捕虜らに注射をして昏睡状態に陥らせ人体実験を行っているおぞましい記憶がよみがえるのだという。その度に、牧野さんは堅く目を閉じて必死に記憶を振り払う。

 しかし、その一方で、牧野さんは、自分の命があるうちに、多くの人々に自分が体験した事実を伝えなければならないとの使命感を感じるようになった。

 大阪市内の病院でAFPのインタビューに応じた牧野さんは「それは生体実験だ。生体実験にほかならない」と語りだした。「生きているものをそのまま解剖して実験するということ。これが肝臓だ、これがあれだといってね」

 牧野さんが所属する部隊の軍医は、衛生兵らへの手術実習として、捕虜から取り出した内臓を用いて説明を行っていたという。

 牧野さんが、こうした体験を公表したのは2006年。フィリピンでも旧日本軍による捕虜人体実験が行われていた事実を公表したのは、牧野さんが初めてだった。牧野さんの告白は日本国内で論争を呼び起こし、牧野さんを「嘘つき者」と攻撃する国粋主義系サイトも現れた。

 20人ほどから成る牧野さんの部隊は、終戦の1年前の1944年、戦艦大和に乗船し他の1500人部隊とともにフィリピンのミンダナオ(Mindanao)島に上陸。牧野さんの部隊は、敵機の偵察が任務だった。

 しかし、牧野さんらがミンダナオ島西部のザンボアンガ(Zamboanga)の日本軍基地に到着した後、軍本部からの連絡が途絶え、軍需物資はおろか医療品も不足。状況は日ごとに悪化の一途をたどった。

 困窮する状況の中で、牧野さんの部隊を苦しめたのは、イスラム系の少数民族モロ(Moros)族のゲリラ攻撃だった。モロ族について、牧野さんらは、槍で敵を襲撃する残忍な部族だと聞かされていた。また、モロ族に襲われた人々を救い出したこともあったという。

 牧野さんの部隊が捕らえた捕虜のほとんどもモロ族だった。

「そりゃ捕まえておかんといかんですけれど、そこで処分したってかまわないんですよ。もうそこで処分しちゃうんですよ」

 その場で斬首された捕虜もいたが、多くは人体実験用に軍医に引き渡されたという。軍医は衛生兵らに手術の方法を教える素材として捕虜を使用した。

 衛生兵らが麻酔注射や酸素ガスを施すと、数秒で捕虜は気を失ったという。その後、軍医は意識のない捕虜の身体にメスを入れ、牧野さんら衛生兵の目の前で解剖を始めた。

 人体実験後の数日間は、牧野さんは食物を口にすることができなかったが、じきに慣れてしまったという。

「やけくそ半分ですわ、はっきりいうたら。私がそうやったですわ。やけくそですわ。なるたけならしたくないですよ、そんなことは。だけど、やれっていわれたら、軍人は命令には絶対に従わなくちゃならないということがあるわけですよ。やらな今度はこっちがやられるわ」 
 
 牧野さんの告白は、中国東北部で旧日本陸軍の石井四郎(Shiro Ishii)軍医中将軍が細菌を用いた人体実験を行った「731部隊」を彷彿とさせる。

 しかし、牧野さんによれば、牧野さんの部隊が行った人体実験は、組織的なものではなく、敗戦色が濃厚となるなか自暴自棄となった軍隊による偶発的なもので、細菌を使用したり、実験データを記録したこともないという。

 60年以上たった今でも牧野さんは、フィリピンでの経験を決して忘れることはできない。当時の経験を語るにも、途切れ途切れに語るのがやっとの様子だ。
 
 旧日本海軍司令官だった寺嶋芳彦(Yoshihiko Terashima)さん(86)も、牧野さん同様、フィリピンで戦場を経験した数少ない生存者だ。寺嶋さんも、戦争末期の戦場の状況は酷いもので、兵士らは生き残るため思いつく限りのことをしたと語る。

 寺島さんの部隊は人体実験は行っていなかったものの、医療品も物資も不足した負け戦状態のなかで、軍医も試験的に、そういうことをするのは当然だったと寺嶋さんは言う。「それは軍医の判断だ。現場だけの判断だ」

 牧野さんは、兵力も武器も弾丸も全てが不足する中で日本が戦争に負けたのは当然だと、厳しい口調で語る。

 牧野さんの人生は戦争でむちゃくちゃになったと、牧野さんは言う。しかし、海軍に志願したのは自身の意思だから、波乱万丈の人生の責任は自身にあるのかもしれないともいう。当時は、健康な男子は皆、兵士となるのが当然だった。そんな時代に男に生まれついたなら、「兵隊に行くしかないだろう」と牧野さんは締めくくった。(c)AFP/Harumi Ozawa

この記事を読んで、戦争の異常さを今更ながら考えさせられる。
それにしても、韓国や中国に未だに残る反日感情をフィリピン人にそれほど感じないのは、フィリピン人特有の寛大さからくるものなのでしょうか? 

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Eジプニー


以前こんなニュースが出ていたのですが、普及してるのかなぁ?
マニラの大気汚染は、殆どが自動車の排気ガスによるものだと聞きました。確かに路上で水やタバコを売ってる売り子の顔は煤けて真っ黒だったなぁ。。

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フィリピン退職者ビザ取得条件のさらなる緩和

前日にも紹介しましたフィリピンの退職者プログラムが、6ヵ月間の期間限定で、取得しやすくなっていました。
フィリピン退職庁 PRAより発表された、優遇措置の具体的な内容は、
(1)35歳以上50歳未満の人は定期預金の額が、従来75,000米ドル以上だったのに対し、50,000米ドル以上に。
(2)50歳以上人の定期預金の額が、従来50,000米ドル以上だったのに対し、20,000米ドル以上に。
というもので、いずれも、下方修正されたものでした。
その、フィリピンの退職者プログラム・特別居住退職者ビザ SRRVは、その後、期間を延長し、2006年12月末日をもって、ついに終了していました。
それに伴い、2007年1月1日以降の申請者に対し、あらたな減額措置を実施することが決定。フィリピン国内の銀行に預け入れる定期預金の預入額が、下記の通り変更になりました。
(1)年金、またはそれに相当する社会保障の受給総額が、月額800米ドル以上あるひとの場合
     50歳以上:1万米ドル
(2)年金に関係なく申請する場合
     50歳以上:2万米ドル
     35歳以上50歳未満:5万米ドル
上記金額には、フィリピン退職庁 PRAに支払う申請手数料(1,500米ドル)が含まれていません。
また、上記の条件で、配偶者、ならびに20歳未満の子どもを伴うことが可能です。その場合は、同伴者1名につき100米ドルの手数料が必要です。
その他の条件や手続き方法、特典などは、従来と同様。変更はありません。
                         AllAboutより
いづれにしても、従来より申請条件が緩やかになっていることは間違いないようです。
先日ニュース番組の特集でも紹介していましたが、日本人のリタイヤ組の海外移住先として現在一位なのが、タイで、フィリピンと似たような気候や貨幣価値で、暮らしやすいって言ってましたねぇ。まぁ、全体的にみた治安の良さという点ではタイに軍配があがるでしょうが、フィリピンもこれからリタイヤ世代の受け入れに積極的に取り組む条件は揃っていますよね。

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フィリピンで暮らすという選択


国際結婚をした私達夫婦にとって、まだ少し先になりますが、リタイア後の生活をどちらの国で送ろうかという、嬉しい悩みがあります。
熱帯性気候でトロピカルなフィリピン。地理的条件がよく、気候に恵まれ物価も驚くほど低いため、ここ数年フィリピンに暮らす日本人は増えているみたいです。
一方現在生活している日本。このところ物価もどんどん上昇しているし、もともと非常にルールに厳しいこの国のシステムがあまり好きではない私は、以前からリタイア後は海外でリラックスして過ごしたいという願望がありました。英語でのコミュニケーションは何とかなりそうですし、メイドや運転手、介護士として現地のひとを雇い、悠々自適の楽園暮らしを営むというのも良いかもしれないですねぇ。
因みに人件費はメイドがひと月6000円程度、介護士が2万円程度で雇用できるみたいです。
しかし、ウチの奥さん、フィリピンに住むのにはあまり乗り気じゃない様子なんです。昨年久し振り(13年振り)に里帰りしてみて、その思いを強くしたみたいですねぇ。
まぁ、わずか4時間のフライトですから、大橋巨泉じゃないけど、日本と行ったり来たりの生活が理想かなって今は思っています。
そんな理想をあと押ししてくれるのが、好条件で取得できるフィリピン永住権の制度です。
フィリピンでは、35歳以上を対象にした特別居住退職者ビザ SRRV の制度があります。この制度の最大の特徴は、非移民のステイタスでありながらフィリピン永住権が取得できるという点。要するに、日本国籍を有しつつフィリピンで永住ができるのです。さらに何度でも出入国ができるマルチプル・エントリービザなので、滞在日数を気にせず日本との往き来が自由にできます。
世界各国から、多くのひとがこのビザを求めて、フィリピンを訪れています。現在の取得者総数は約1万人。そのうち約1割が日本人です。
他国のリタイアメント・ビザとは大きく異なり、一定条件をクリアすれば現地で就労も可能なこのビザ。フィリピン政府が指定する現地の銀行に、一定額以上の定期預金をすることが申請条件となっています。                      AllAboutより

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外国人看護師受け入れ

EPA条約により、8月にインドネシアから看護師・介護士が来日することになった。だが、そこには大きな壁がある。それは受け入れ条件の問題である。
【看護師受け入れ条件】
(1)母国において、看護師資格を取得していること
(2)2年以上勤務経験があること
(3)入国してすぐに6カ月間の日本語教育を、厚生労働省の外郭団体である国際厚生事業団の指定を受けた者が行う事になっている
(4)日本に来て3年間以内に日本の看護師試験に合格をすること
(5)受け入れ希望の病院は、1人につき、60万円を国際厚生事業団に支払わなければならない
 (1)の条件は、当然であろうと思う。(2)も知識が求められることであり、仕方がないのかもしれない。しかし、(3)が問題だと記者は思う。この6カ月におよぶ日本語教育の期間、研修生の住まい、食事、給与はどうするのだろうか。まだ具体的に明示されていない。
 そして、(4)が一番の問題だと思う。日本に来て3年間は、看護助手という立場しか許されない。病院勤務でも、あくまで看護助手であり、医療行為など一切できないのである。当然のこと、7対1の看護師配置条件にもカウントされないため、医療報酬の対象にならない。病院としては、単に看護のお手伝いさんとしてしか見ることができない。
 さらに難問は、3年間に亘り、病院での日本語教育と、看護師試験のための指導をしなければならない。誰が教えるのか、インドネシア語の話せる職員は手配できるのか、病院の負担も大きいものとなる。
 その間、給与はもちろん、ボーナス、社会保険負担分、住居の確保など、すべて病院に押し付けられる形となってしまう。そして3年間で看護師試験に合格しなければ、強制的に帰国させられてしまうのだ。果たして3年間で日本語を覚え、難しい医療知識や医療用語を本当に覚えることができるのであろうか。
 また、「不合格なら帰りなさい」と本当に言いきれるであろうか。もちろん、受け入れ病院の指導次第であろうが、疑問が残る。
 日本人では、小学校から中学、高校を経て、看護大学や看護士養成学校で3年間勉強した人が看護師試験を受ける。その合格率は87%だ。日本人でさえ、 13%の人たちが不合格になる試験に、学校も行かず、病院で看護助手として働きながら合格を目指さなければならないという条件はあまりにも酷ではないのか。
 努力して合格できる人もいるだろう。しかし、果たしてどれくらいの割合で合格できるのか。
 厚生労働省の見解は、あくまで看護師は不足していないとしている。
 EPA条約だから仕方がない。日本で働きたいのなら従えとの立場である。
 これに反発してフィリピン上院議会がいまだ条約を締結していない。こんなことをしていたら、いざという時に外国からの看護師・介護士など来てくれなくなるのではないかと心配である。
                      (記者:梅沢 清志)

私もこの記事を書いた記者の意見に同感です。
相も変わらず日本の役人は現場の実態を把握するという最も大切な事柄を蔑ろにしているとしか思えません。(まぁ役人に言わせれば、そこは最も誤解を生じやすい部分ということになるらしいが)
他の記事で、フィリピン政府として、中東に出稼ぎに行っているフィリピン人の最低賃金のアップの勧告をしたとありましたが、出稼ぎ大国フィリピンとしては、EPA条約にしろ、国の経済に及ぼす影響はとても大きいのでしょうから、真剣なのでしょう。